二丁目に転がる覚え書

語感の良さと ちょっとの思想

宣伝monk

お腹が空いた。

今日は何を食べようか。

そういえば、冷蔵庫に焼きそばがあったな。あぁ…もやしと豚肉がない。

カップラーメンは昨日食べたし、もう飽きた。

今から米を炊くのも億劫だ。

そうだ、買い物に行こう。

 

 

千円札一枚手にして街を歩けば、何不自由なく君の胃袋を、お望みのもので満たすことができるだろう。

 

スーパーマーケットに行けば、高名な料理家でもない限り、ほぼ望みの食材が手に入る。

 

街にはラーメン屋、牛丼屋、回転寿司屋、うどん屋、ピザのデリバリー、ハンバーガーなどのファストフードなどが軒を連ね、ひしめき合いながら主張し合っている。

 

さて、今回は別に、昨今の飽食文化について書くわけではない。

 

年収が1000万くらいある、ここの読者の皆様方は、毎日何を基準に食べ物を買っているだろうか。

 

たかだか千円ほどで、ある程度、何でも食えるこの時代に、である。

 

味か?値段か?気分か?それとも、食材の産地か?

好きなもんばっかり食ってるか?

 

ある程度の大人であれば、財布の中身の心配をすると同時に、

 

“健康”という2文字が頭の中をかすめるだろう。

 

「そういや昨日も揚げ物だったな…」と、スーパーの惣菜コーナーに陳列されたコロッケに手を伸ばしかけながら思い出す。

 

「またカップラーメンか…」と、近所のコンビニの棚を見つめながらため息を一つ。

 

年を重ねれば重ねるほど、「残り時間」というのを意識する。

食生活が健康な身体を作るのであれば、頭の中で“算数”をせずにはいられない。

 

ほら、TVでは毎日のように流れているではないか。

 

脳出血、糖尿病、 がん。

 

あなたも危ないですよ、と。

 

グルメ番組で芸能人たちが死ぬほど美味そうな物を食べている裏で、『食生活に気をつけないとこうなるぞ!』と脅してくる。

 

そんなことを言われ続けたら、惣菜コーナーから離れて、サラダやオーガニック食品のコーナーへ走らずにはいられない。

 

スーパーや食品メーカーも、そういうところに目をつけないわけないだろう。

 TVも、毎日のように、身体に良い食べ物は何か、を放送しまくっている。

 

ここからは自分の話のなのだが、そういう“食材の宣伝文句”というのが俺は嫌いだ。

 

昔、母親がよく

 

「この食べ物にはビタミンが多く含まれてて身体に良いからいっぱい食べなさい」

 

と、ことあるごとに言われていて、うるさいなぁ、と思っていたんである。

 

その度に心の中で

 

“身体に良いから食べるんじゃねぇ。美味いから食べるんだ”

 

と、さながらトレンディドラマの無骨な俳優を意識しながら反抗したものだ。

 

黒酢、にがり、トマト、カスピ海ヨーグルト、ココナッツオイル、アーモンド、蛇の目玉、麝香猫の糞、苦労人の爪の垢…数え上げたらキリがない。

 

そんな、一点集中的な健康食材を追い求めなくても、ある程度の食材には身体に良い成分が備わっているだろうし、よっぽど偏った食生活をしていなければ、何を食べたって良いハズなんである。

 

ココで大事なのは、

 

“健康食品はブームになる”ということである。

 

騙されてはいけないのは、“健康”はブームではなく、人類全体の恒久の願いだ。

一部の企業の、金儲けのための商売道具ではない。

 

“この食品を食べたら健康になる”

“コレを毎日100g食べたら、癌が消えた”

“このエキスを飲んだら、数値が良くなった”

 

そういうものは企業の宣伝文句であり、全て嘘っぱちだ。個人差、という免罪符で全て逃げ切れられる。

 

〇〇を食べたら、彼女が出来た

〇〇を飲んだら、宝クジが当たった

 

と言ってるのと同じであることに早く気付くべきである。

 

最後に、唯一無二の絶対的な健康法をご紹介して終わろう。

 

 

 

 

 

 

 

十分な催眠と、ストレスを減らすことである。

 

 

〈今日の覚書〉

そんな簡単なことも出来ない現代よ。