二丁目に転がる覚え書

語感の良さと ちょっとの思想

ガチャガチャ教のパンティー

今までの人生の中で、一番の“拾い物”とはなんだろうか。


空を見上げながら、ふとそんなことを考えた梅雨の中休み、S市の昼間。

この場合の拾い物とは、棚からぼた餅的な、予想外の利益を被ったとか、そういう例え話ではない。

その辺の道端に落ちていたモノを、物理的に手を伸ばして拾うことである。

S市に来てからは、あまり道端でモノを拾うことが少なくなったような気がする。

年を重ねた大人が堂々と道端でモノを拾うという行為は、なかなかにレベルが高いのではないか。

どこで誰が目を見張らせているかわからない、このご時世である。

監視カメラがそこここにレンズを向け、一部始終を記録しているではないか。

思えば子どもの頃、地元では、いろんなモノが道端に落ちていたし、まだ陰毛が生え揃わない小学生だった頃の私は、人目も顧みずよく拾ったものだ。

子どもの頃に拾ったモノで、今でも一番鮮明に覚えているのは、




ガチャポンのカプセルに入った女性のパンティー



である。

どこに落ちていたのかと言うと、家の前なんである。


時勢は“ガン消し”ブームの真っ只中。


ご他聞に洩れず、その流行りの洗礼を一身に受けていたのが齢10に満たない私である。

近所の駄菓子屋や本屋、ホームセンターなどの前に奉られている御神体、いや、ガチャガチャ教の賽銭箱を見つけては、お布施の100円玉を握り締め、ご利益のあるガチャガチャを回しに行ったものだ。

学校で誰も持っていないようなレアなガン消しを手に入れて、仲間内での自分のアイデンティティを守ろうとしていた私は、家の前に落ちていた“ソレ”をめざとく見つけたのである。


「やや!あのカプセル状の物体はガチャポンではないか!どんなレアなガン消しが入っていることかー!」


そうやってドキを胸胸させて近づいた。


しかし、中身を開けてビツクリ、スケスケの、赤とかピンクとかの生地であしらった、その道の職人が3ヶ月くらいかけて丹念に編みこんだようなTバックが入っていたのだ。

ようやく、パンチラとかおっぱいとか、その辺の原始的な性的欲求が芽生え始めようかというくらいの時分だった私だが、


“これは卑猥なものである”


と一瞬のうちに察知した。


子ども心の私は勘が良かった。




ただ、



使い道がわからなかった



ガチャポンのそれではなく、しかも卑猥なもの。

アイデンティティを守るものどころか、成人男性が持つリビドーを換気してしまうソレは、子ども心の私には早かった。

どうして良いかわからず、また家の近くに放り投げてしまったのを覚えている。

皆様は子どもの頃、どんな不思議な拾い物をしたことがあるでしょうか。その辺がすごく気になります。

ガチャポンのパンティー以上にすごいものを拾ったことがある、という方、ご一報ください。


〈今日の覚言〉
今でも使い道がわからない。