二丁目に転がる覚え書

語感の良さと ちょっとの思想

音楽の聴き方〜Kikikata of the ONGAKU〜その4

シリーズ最終便です。

失速してきた感が否めないですが。。。

 

 

 

順調にアクセス数を減らしております。エヘン。

 

 

アクセス数が“1“って出たことあるんだけど、

 

 

 

感動したね。

 

 

俺ぁそいつと、子どもの頃どんな駄菓子が好きだったとかを話し合いながら3時間くらい飲みたいね。養命酒オン・ザ・ロック☆で。

 

というか、こんな内容が無い、愚にもつかない文章、一人でも読んでくれて万々歳ですよ。

 

んで、何だっけ。あーそうそう、音楽の聴き方ね。

 

 

皆様はどんな経緯で“自分はこの音楽(アーテストやジャンル)が好きだー!”って思い始めたでしょうね。

 

何となく周りが聴いてたから?

テレビから流れてて?

好きな人が聴いてたから?


色んな、音楽との出会いがあったと察しますが、

 

ここでは、そんなパステルカラーのような思い出とか、綺麗なハートフルエピソードは一切でてきませんよ。


音楽との関わり方において、自分が嫌悪感を示すものをご紹介しましょう。


自分が持てる最大限の蔑みの言葉と侮辱と冷やかな視線と、愛しさと切なさと心強さを持って紹介しようと思う。

 

まず、

 

『本当の音楽…知ってるぜ…系』

 

である。

 

めんどくさいので、このタイプは“マンダム”と呼ぶ。

 

マンダムはこだわり屋だ。違いがわかる男だ。

彼らは、ジャコウネコの糞から取れる、インドネシアの珈琲の王様“コピ・ルアク”しか口にしないのだ。

食すものは、どこぞの産地で採れただの、鮮度がどうだの、ということをまず気にする。

他人より秀でた気分になれるので、オーガニックとかハーブとか、コンプライアンスとかスーパーバイズとか、テザリングとか、マーケティングとか、クールポコとか、そういうカタカナが好きである。

野菜も“生産者の顔”がわからない物は使用しないし、肉に限っては、あえて食べない。

もちろん、食後に歯の間をシーハーする時の爪楊枝も、その道の職人がこさえた1本7〜8千円くらいするこだわりの逸品なのだ。

 

彼らはとにかくこだわる。

 

こだわって難癖つけるのが仕事だ。

 

自分が認めたものでないと受け入れられないのである。

 

そしてそのこだわりの矛先は“音楽”に関しても向けられる。

 

マンダムタイプ(なんかガンダムみたい)が頭角を表し始めるのは、小学校高学年〜中学1、2年くらいだろう。

 

周りの学友がジャニーズだアイドルだと、J−POPに浮かれている頃、マンダムはそいつらに与しない。

 

子どもの頃の興味、関心の矛先は、まだ自我が分化、成熟していないため、皆同じものにわぁーッとすがりつく傾向にある。

 

しかし、小学校高学年ともなると、少しずつ“自分はナニモノなのか”’と(余計なことを)考え始める。アイデンティティの芽生えである。

 

 

 マンダムは、“他人と違う音楽を聴く”

 

 

ということで、仲間内でのアイデンティティを確立しようとし始める。

 

だいたい、洋楽である。

 

クラスの皆がアイドルの話で盛り上がってる頃、マンダムは屋上へ続く階段の途中に一人座り、おばあちゃんに泣いて頼んでケーズデンキで買ってもらった、どこぞのメーカーかわからない携帯プレイヤーでマイケルジャクソンを聴くのである。

 

何を隠そう、

 

俺はマンダムタイプだった。

 

子どもの頃のマンダムタイプはまだかわいいものだ。

 

しかし、そのまま大人になると厄介なんである。

 

オーディオマニアとか、ジャズ、ブルース好きに多いような気がする。というか、多い。

彼らに対して、ヘタに音楽の質問をすると、「分かってないな」と諭され、そこからジャコウネコの珈琲を飲みながら5時間、説教が続くのである。

彼らは同じCD(レコード)を何マン回も聴く。

 

そして、

 

「聴く度に新しい発見がある」

 

とか言い出す。

俺も言っていた。

 

本当の音楽がこの世に存在すると思っており、自分が認めた音楽が本当の音楽なのである。

アイデンティティの確立方法をこじらせるとこうなる(かも)

 

 

そして次に、

 

『あの人、本当は良い人なの…系』

 

だ。

 

なんとなくわかると思うが、女性に多いと思う。

 

めんどくさいので、便宜上“ヒモ”と呼ぶ。

 

ヒモは夢見る少女だ。処女かもしれない。

 

 彼女ら…じゃなくて、ヒモは一神教だ。

 

ほとんど一人のアーテスト(もしくはグループ)しか聴かない。

 

そして、仲間内で“群れ”ながら聴く。

 

他のアーテストがちょっとでも“良い”と思ってしまうと、それは“浮気”になり、群れからの追放を意味する。

 

ヒモは、同一アーテストのCDやDVD、写真、ポスター、書籍関連、グッズ類を病的に集め、とにかく貢ぎまくる。

 

お布施と言ってもいい。

 

お金を出して買うことが“応援”’と思っている。形を変えたエンコーだ。

 

また、民放にそのアーテストが出演すると知ると、何が何でもリアルタイムで観るし、録画もする。

 

アーテストが出演している間は、TwitterなどのSNSで、「今日のジャケットカッコいい!」、「髪型変わったぁ!」など、一挙手一投足、仲間内で呟きまくる。

 

ヒモは、少しでも自分が好きなアーテストを他人にけなされると、烈火の如くブチ切れ、引っ掻いてくる。

 

自分とアーテストが一心同体であるため、アーテストへのディスりは、自分が傷つけられたのと同じなのである(ホントは、“そのアーテストを好きな自分”をけなされたからなのだが)

 

しかし、ヒモは、熱しやすく冷めやすい。

 

数年ほどをワンクールとして、コロコロと宗旨替えする音楽ジプシーだ。

 

さて、音楽での関わり方をについて、マンダムとヒモの2種類をご紹介させていただいたが、この両者、共通点がある。

 

 

 

“他人に自分の主張を押し付ける”

 

 

というところである。

 

マンダムもヒモも、根っこは同じだったりする。

 

歳を重ねると、段々と聴く音楽の幅が狭まってきていくようだけど、なんつーか、「あの音楽はダメ」とか、「この音楽じゃなきゃヤダ」っていうのは、自分で自分の首を絞めてるようなものなのかな、と思います。どんどん狭まっちゃうよね。

 

『あの音楽も良い!この音楽がも良い!』って思ってた方が、人生楽しくないすか。楽しんだもんがちっすよ。