二丁目に転がる覚え書

語感の良さと ちょっとの思想

愚痴

リンドバーグ”ときて、“愚痴”



「はぁ…」

まずため息から始まる。ドラムのスティックで4回、カウント。


「ねぇ、ちょっと聞いてよ」


と、イントロが流れ出し、


「今日、職場でね、アイツがさぁ〜」


状況説明のようなAメロが進行していき、


「ほんっっと、もう、アイツ頭おかしいよ!!」


魂を込め、感情をのせたキャッチーなサビである。


今日も、全世界のお茶の間や居酒屋、喫煙所などで、膿を宿した言霊達が“愚痴”と化し、ヒットチャートの流行歌のように流れ、吐き捨てられている。

愚痴の中身というのは、大体、“人間関係”に決まっている。

「アイツが気にくわない」
「アイツが思い通りに動かない」
「アイツが陰で自分の悪口を言っている」

愚痴というのは皆、“〜アイツに対して〜”というサブタイトルがつく歌なのだ。

アイツの振る舞いに対して“感動”しているし、そもそも、アイツに対して興味・関心が高いんである。


自分だけの、限りある人生の大切な時間を、わざわざ“大嫌いなアイツのこと”を考えるのに費やしているのである。


これはもう、恋だ。


「ハッ、私ったら、また大嫌いなアイツのこと考えちゃって…」


まるで90年代の少女漫画のようだ。


愚痴を受け止め、聴く方も、それ相応の体力がいる。

BGMが耳に入ってくるような感覚で愚痴をきいてはいけない。

“hear(聞く)”ではなく、“listen(聴く)”でなければいけないのだ。

愚痴というのは、本人のみが魂を揺さぶられている駄曲・凡曲だ。ハッキリ言ってつまらない。

愚痴を聴く人は、それこそ、listenerにならなくてはいけない。

TVドラマではよく、奥さんが家庭の中で夫にまくし立てるように愚痴を連射する光景が風物詩となっているが、これはドラマの中だけではないようだ。

往往にして、男性は女性の愚痴や悩みに対して、すぐ“解決法”を提示しようとする。


「今度からこうしてみたら?」


と、アドバイスしたがる。


大体、女性はこういう、


「もういい」


そうして、部屋に戻っていってしまう。


男はふと考える。


「何が良くなかったのか。自分は適切なアドバイスをしようとしただけじゃないか」


そもそも男のスタンスが間違っているのである。


“お前の悩みをこの俺様が解決してあげようぞ”


こんなスタンスで来られたら、誰だって逃げ出したくなる。

アドバイスというのは、求められた時にだけ答えればいいのだ。


愚痴を聴く人の覚えておきたい大事な考え方は、



愚痴は、解決しなくていい。



これである。



解決しなくていいんである。

 
ただただ聴く。聴くだけである。


愚痴が歌だとしたら、listenerが、目の前で歌っているシンガーに

「今度から、もうちょっと大きい声で歌ったら?」

なんて、アドバイスしますか?


listenerはただただ聴くだけでいいのだ。


現代社会はストレスだらけだ。いや、多分、昔も大昔もストレスはあっただろう。

生きてるだけでストレスが溜まる。

愚痴の一つも言わんとやっていけん。

そういえば、“ストレスに強い人とは”という内容の話をどっかの研修で聴いたことがあるので、最後にご紹介しよう。

どんなストレスでも、上手くやっていける、乗り越えていける方法が一つある。


それは、


“自分の話を聴いて理解してくれる人が身近にいること”


だそうだ。


簡単なようで難しい。難しいようで簡単。


ストレスに強くなりたければ、自分だけのlistenerを探してください、ということになる。

listenerの獲得も大変だ。

自分の愚痴も、もっとちゃんと聴いてくれるように磨かねばなるまい。

リンドバーグ

“しりとり”から繋がって、次は“リンドバーグ

 

フッと頭に思い浮かんだワードを出してみたが、困った。

 

俺はリンドバーグという人をよく知らない。

 

よく知らないので、微かな記憶とペットボトルのキャップから溢れんばりの想像力で、リンドバーグを語っていきたいと思う。

 

絶対、Google先生には頼らんぞ。すぐウェブだなんだと頼るのは現代人のいけない習慣だ。

 

リンドバーグは…たしか冒険家だ。

 

飛行機に乗って世界中を旅したドリーマーだ。

けしからん、何で稼いでいたのだろうか。飛行機乗って旅をしていただけで稼いでいたのだ。まったく。

 

1916年前後、アメリカのウィスコンシン州あたりの生まれで、幼い頃、おそらく両親が離婚。母に連れられて、オクラホマ州の方へ移住。母の再婚相手から酷い虐待を受け、心を閉ざす。

 

自分を解放してくれるもの、唯一の逃げ場が“飛行機を見ること”であった。

 

自由に空高く飛んでいる飛行機を見ると、自分も空を飛べるような気がした。この悲しい現実から飛び立てるような気がした。

 

リンドバーグは高校へ行かず、日がな空飛ぶ鉄の塊を眺めては、ため息をついていた。

 

ある日、リンドバーグは一人の男と出会う。この出会いが、後の彼の人生を大きく動かす人物となった。

 

 

マイケルである。

 

 

誰がなんと言おうとマイケル。マイケルなのだ。

 

彼はリンドバーグに飛行機のいろはを教えた。

 

リンドバーグが26歳くらいになる頃には、飛行機の“匂い”を嗅いだだけで、それがどこの工場で作られたものか、はもちろん、どこを飛んできたかまでわかってしまうほどになっていた。

 

ある日、マイケル(87歳)にこう言われた、

 

「50年前、遥か海の向こう、日本という国に恋人を残してきた。いつか自らが乗る飛行機で彼女を迎えに行き、キスをするのがこのわしの夢じゃった。だが、わしはもう歳じゃ。リンドバーグよ、わしの代わりに飛行機に乗り、彼女を迎えに行ってくれんか」

 

そう言ってマイケルは息をひきとった。

 

前立腺がん、とか、そんな感じだった。

 

リンドバーグは、マイケルの夢を飛行機に乗せ、世界に旅立つことになる。

 

後に、「今すぐKiss me〜」と歌ったシングルが日本でヒットしたのは皆の知るところである。

 

 

しりとり

いちいち文章のネタを考えるのも面倒なので、しりとりでお題を繋げていき、どこまで続くかやってみようと思う。

 

まず最初は、ズバリ、『しりとり』

 

小学校とか、中学校とか、買ったばかりのスポンジのように、どんどん新しい言葉を覚えていく成長時期に、よく友達や家族としりとりをして遊んだ記憶がある。

 

ただ単語と単語を延々と繋げていく作業なのだが、同じ単語を使ってはダメ、最後に“ん”がついてはダメ、という単純明快なルールが、子どもにとっては分かりやすくて取り組みやすい。

 

『パスは3回まで』とか、『制限時間30秒』みたいな、ローカルルール?みたなのもあったと思う。必要な道具は一切いらないし、すぐにやめられるので、何かの待ち時間など、手持ち無沙汰な時にうってつけだ。

 

高校とかになると、よりルールが高度になっていき、『覚えてしりとり』なる遊びもやった記憶がある。しりとりで繋げた言葉を全部最初から答え、さらに足していく…なかなか高度なので、是非皆さんもやってみると良い。

 

ただ、一つ欠点がある。最初の方の言葉が何だったか、誰かが覚えていないといけないのだ。そうでないと間違いを指摘できない。敵とはいえ、チームワークが大事なゲームと言えよう。

 

他にも、『地名しりとり』『人名しりとり』等、“制約”というスパイスを与えて、楽しむ方法もある。これは大学時代にやった記憶がある。かなり高度で、なかなか繋がらないし、すぐに手詰まりになる。最中、「そんな地名あった?」、『いや、あるし!俺の地元』みたいな、エゴイスティックな展開になるので、しらける場合があるので注意だ。人名しりとり(有名人)に至っては、「誰その人?」と無邪気に質問して、そんなことも知らないのかと無知を露呈させられ、恥をかいてしまうリスクも生じる。

意外と普段ぼんやりしてるヤツが何気に言葉を知っていて、あらたな一面を垣間見る機会にもなったりする。

 

しりとりで良くやる戦法が、『同じ語尾返し(オナジゴビガエシ)』である。

 

どんな言葉を返されても、語尾が同じ言葉を探して返すのである。中年男性の愛撫のように粘っこく、いやらしく、そして執拗に。

 

たしか、

 

“ら”とか“る”とか、“ら行”で返すのが意外とエグい感じだったと思う。

 

やられる方も、このままではいけない、とやり返す。

 

そう、

 

『同じ語尾返し返し』(=オナジゴビ・カエシガエシ)

 

である。

 

相手が繰り返す語尾の言葉を自分も探し、やり返す方法である。

 

しりとりは奥が深い。

 

くれぐれも、相手の“言葉尻”を取らないように。

ガチャガチャ教のパンティー

今までの人生の中で、一番の“拾い物”とはなんだろうか。


空を見上げながら、ふとそんなことを考えた梅雨の中休み、S市の昼間。

この場合の拾い物とは、棚からぼた餅的な、予想外の利益を被ったとか、そういう例え話ではない。

その辺の道端に落ちていたモノを、物理的に手を伸ばして拾うことである。

S市に来てからは、あまり道端でモノを拾うことが少なくなったような気がする。

年を重ねた大人が堂々と道端でモノを拾うという行為は、なかなかにレベルが高いのではないか。

どこで誰が目を見張らせているかわからない、このご時世である。

監視カメラがそこここにレンズを向け、一部始終を記録しているではないか。

思えば子どもの頃、地元では、いろんなモノが道端に落ちていたし、まだ陰毛が生え揃わない小学生だった頃の私は、人目も顧みずよく拾ったものだ。

子どもの頃に拾ったモノで、今でも一番鮮明に覚えているのは、




ガチャポンのカプセルに入った女性のパンティー



である。

どこに落ちていたのかと言うと、家の前なんである。


時勢は“ガン消し”ブームの真っ只中。


ご他聞に洩れず、その流行りの洗礼を一身に受けていたのが齢10に満たない私である。

近所の駄菓子屋や本屋、ホームセンターなどの前に奉られている御神体、いや、ガチャガチャ教の賽銭箱を見つけては、お布施の100円玉を握り締め、ご利益のあるガチャガチャを回しに行ったものだ。

学校で誰も持っていないようなレアなガン消しを手に入れて、仲間内での自分のアイデンティティを守ろうとしていた私は、家の前に落ちていた“ソレ”をめざとく見つけたのである。


「やや!あのカプセル状の物体はガチャポンではないか!どんなレアなガン消しが入っていることかー!」


そうやってドキを胸胸させて近づいた。


しかし、中身を開けてビツクリ、スケスケの、赤とかピンクとかの生地であしらった、その道の職人が3ヶ月くらいかけて丹念に編みこんだようなTバックが入っていたのだ。

ようやく、パンチラとかおっぱいとか、その辺の原始的な性的欲求が芽生え始めようかというくらいの時分だった私だが、


“これは卑猥なものである”


と一瞬のうちに察知した。


子ども心の私は勘が良かった。




ただ、



使い道がわからなかった



ガチャポンのそれではなく、しかも卑猥なもの。

アイデンティティを守るものどころか、成人男性が持つリビドーを換気してしまうソレは、子ども心の私には早かった。

どうして良いかわからず、また家の近くに放り投げてしまったのを覚えている。

皆様は子どもの頃、どんな不思議な拾い物をしたことがあるでしょうか。その辺がすごく気になります。

ガチャポンのパンティー以上にすごいものを拾ったことがある、という方、ご一報ください。


〈今日の覚言〉
今でも使い道がわからない。

音楽の聴き方〜Kikikata of the ONGAKU〜その4

シリーズ最終便です。

失速してきた感が否めないですが。。。

 

 

 

順調にアクセス数を減らしております。エヘン。

 

 

アクセス数が“1“って出たことあるんだけど、

 

 

 

感動したね。

 

 

俺ぁそいつと、子どもの頃どんな駄菓子が好きだったとかを話し合いながら3時間くらい飲みたいね。養命酒オン・ザ・ロック☆で。

 

というか、こんな内容が無い、愚にもつかない文章、一人でも読んでくれて万々歳ですよ。

 

んで、何だっけ。あーそうそう、音楽の聴き方ね。

 

 

皆様はどんな経緯で“自分はこの音楽(アーテストやジャンル)が好きだー!”って思い始めたでしょうね。

 

何となく周りが聴いてたから?

テレビから流れてて?

好きな人が聴いてたから?


色んな、音楽との出会いがあったと察しますが、

 

ここでは、そんなパステルカラーのような思い出とか、綺麗なハートフルエピソードは一切でてきませんよ。


音楽との関わり方において、自分が嫌悪感を示すものをご紹介しましょう。


自分が持てる最大限の蔑みの言葉と侮辱と冷やかな視線と、愛しさと切なさと心強さを持って紹介しようと思う。

 

まず、

 

『本当の音楽…知ってるぜ…系』

 

である。

 

めんどくさいので、このタイプは“マンダム”と呼ぶ。

 

マンダムはこだわり屋だ。違いがわかる男だ。

彼らは、ジャコウネコの糞から取れる、インドネシアの珈琲の王様“コピ・ルアク”しか口にしないのだ。

食すものは、どこぞの産地で採れただの、鮮度がどうだの、ということをまず気にする。

他人より秀でた気分になれるので、オーガニックとかハーブとか、コンプライアンスとかスーパーバイズとか、テザリングとか、マーケティングとか、クールポコとか、そういうカタカナが好きである。

野菜も“生産者の顔”がわからない物は使用しないし、肉に限っては、あえて食べない。

もちろん、食後に歯の間をシーハーする時の爪楊枝も、その道の職人がこさえた1本7〜8千円くらいするこだわりの逸品なのだ。

 

彼らはとにかくこだわる。

 

こだわって難癖つけるのが仕事だ。

 

自分が認めたものでないと受け入れられないのである。

 

そしてそのこだわりの矛先は“音楽”に関しても向けられる。

 

マンダムタイプ(なんかガンダムみたい)が頭角を表し始めるのは、小学校高学年〜中学1、2年くらいだろう。

 

周りの学友がジャニーズだアイドルだと、J−POPに浮かれている頃、マンダムはそいつらに与しない。

 

子どもの頃の興味、関心の矛先は、まだ自我が分化、成熟していないため、皆同じものにわぁーッとすがりつく傾向にある。

 

しかし、小学校高学年ともなると、少しずつ“自分はナニモノなのか”’と(余計なことを)考え始める。アイデンティティの芽生えである。

 

 

 マンダムは、“他人と違う音楽を聴く”

 

 

ということで、仲間内でのアイデンティティを確立しようとし始める。

 

だいたい、洋楽である。

 

クラスの皆がアイドルの話で盛り上がってる頃、マンダムは屋上へ続く階段の途中に一人座り、おばあちゃんに泣いて頼んでケーズデンキで買ってもらった、どこぞのメーカーかわからない携帯プレイヤーでマイケルジャクソンを聴くのである。

 

何を隠そう、

 

俺はマンダムタイプだった。

 

子どもの頃のマンダムタイプはまだかわいいものだ。

 

しかし、そのまま大人になると厄介なんである。

 

オーディオマニアとか、ジャズ、ブルース好きに多いような気がする。というか、多い。

彼らに対して、ヘタに音楽の質問をすると、「分かってないな」と諭され、そこからジャコウネコの珈琲を飲みながら5時間、説教が続くのである。

彼らは同じCD(レコード)を何マン回も聴く。

 

そして、

 

「聴く度に新しい発見がある」

 

とか言い出す。

俺も言っていた。

 

本当の音楽がこの世に存在すると思っており、自分が認めた音楽が本当の音楽なのである。

アイデンティティの確立方法をこじらせるとこうなる(かも)

 

 

そして次に、

 

『あの人、本当は良い人なの…系』

 

だ。

 

なんとなくわかると思うが、女性に多いと思う。

 

めんどくさいので、便宜上“ヒモ”と呼ぶ。

 

ヒモは夢見る少女だ。処女かもしれない。

 

 彼女ら…じゃなくて、ヒモは一神教だ。

 

ほとんど一人のアーテスト(もしくはグループ)しか聴かない。

 

そして、仲間内で“群れ”ながら聴く。

 

他のアーテストがちょっとでも“良い”と思ってしまうと、それは“浮気”になり、群れからの追放を意味する。

 

ヒモは、同一アーテストのCDやDVD、写真、ポスター、書籍関連、グッズ類を病的に集め、とにかく貢ぎまくる。

 

お布施と言ってもいい。

 

お金を出して買うことが“応援”’と思っている。形を変えたエンコーだ。

 

また、民放にそのアーテストが出演すると知ると、何が何でもリアルタイムで観るし、録画もする。

 

アーテストが出演している間は、TwitterなどのSNSで、「今日のジャケットカッコいい!」、「髪型変わったぁ!」など、一挙手一投足、仲間内で呟きまくる。

 

ヒモは、少しでも自分が好きなアーテストを他人にけなされると、烈火の如くブチ切れ、引っ掻いてくる。

 

自分とアーテストが一心同体であるため、アーテストへのディスりは、自分が傷つけられたのと同じなのである(ホントは、“そのアーテストを好きな自分”をけなされたからなのだが)

 

しかし、ヒモは、熱しやすく冷めやすい。

 

数年ほどをワンクールとして、コロコロと宗旨替えする音楽ジプシーだ。

 

さて、音楽での関わり方をについて、マンダムとヒモの2種類をご紹介させていただいたが、この両者、共通点がある。

 

 

 

“他人に自分の主張を押し付ける”

 

 

というところである。

 

マンダムもヒモも、根っこは同じだったりする。

 

歳を重ねると、段々と聴く音楽の幅が狭まってきていくようだけど、なんつーか、「あの音楽はダメ」とか、「この音楽じゃなきゃヤダ」っていうのは、自分で自分の首を絞めてるようなものなのかな、と思います。どんどん狭まっちゃうよね。

 

『あの音楽も良い!この音楽がも良い!』って思ってた方が、人生楽しくないすか。楽しんだもんがちっすよ。

 

 

音楽の聴き方〜Kikikata of the ONGAKU〜その3

いやー、このシリーズ1回で終わらせようと思ってたのに、ふざけて蛇口から水を流し込んだコンドームのように、悪戯にどんどん膨らんじゃって、気づけばシリーズ3です。

なんか、ブログ再開したばっかりなのに、意外とアクセス数が伸びてて驚きです。面白いかわらんけど、見に来た人、ゆっくりしてってね。

 

さてさて、今回は、日本の音楽業界に関して、アテクシがズーッと疑問に思ってたことをブチまけていきたいと思います。

 

まず、“J–POP”という言葉?ジャンル?の存在について。

 

世の中には、様々な音楽がひしめきあってて、皆それぞれテリトリーというか、自分のシマの中で存在意義を確立している。自分の食いぶちを確保するために、住み分けしながらうまいことやってるんである。

 

ロック、メタル、パンク、グランジオルタナティブ、ポップス、ソウル、レゲエ、ファンク、ジャズ、ブルース、カントリー、ゴスペル、フォーク、ダンス、テクノ、ハウス、ミニマル、ノイズ…etc

 

思いつくジャンルを列挙してみたけれど、個々のジャンルをもっと細分化すると、もっともっと分かれていくだろう。

 

さて、お気付きですか?

 

そう、日本は

 

どんなジャンルで曲を出そうと“J–POP”になってしまう、極めて異質な国なんである。

 

大雑把過ぎないスカ…。トロ。

 

え?バンドマンのそこのあなた、想像してみんしゃい?

 

「どんな音楽やってるの?」と聞かれて

 

 

「あぁ、J–POPだよ」

 

 

と、何のためらいもなく、爽やかな表情でサラリと答えられるバンドマンいる?

俺ァ見たことない。見たことあったら教えてくれ。頼む。

 

そもそも、日本の音楽チャートのあり方がおかしい、というか、古いんである。

 

自分がずっと思ってたのは、音楽ジャンルごとにチャートを作るべきだということ。

 

これはアメリカなんかそうらしんだけど、もうロックならロック!それだけのチャートがあって、ランキングがあって、番組がある。

レゲエならレゲエ、ソウルならソウル、ファンクならファンク、スカトロならスカトロ。

それぞれ、住み分けてるから、お客さんは自分の好きなジャンルを極めやすいし、そうすることによって、それぞれのジャンルの“大御所”達がちゃんと食っていける。

 

それが日本だと、J−POPというデカくて大雑把でちんちくりんなチャートしかないから、有名になるためには、そのちんちくりんなチャートの上位にランキングしないと、どんな良いバンド、歌手だって、一般大衆にはお目にかかる機会がなくなっちゃうんだな。

 

言うなれば、100m走と、ハードルと、砲丸投げと、走り幅跳びと、槍投げにマラソン

、それぞれの競技の人達が一斉にパフォーマンスして、誰が1番か決めるようなもんすよ。アフォ臭い。

 

んで、何ですか、チャートの上位を占めるのが、アイドルソング、アニメソング、EXILE、ジャニーズ、AKB系ばっかりで、“日本の音楽は終わってる”みたいな風潮。

 

チャートがそんなんだから、若いヤツらや、さほど音楽に興味ないヤツらが、いろんな音楽を知る機会がなくなるんだよ。

 

「えぇっとぉ、好きな音楽はぁ、西野カナとぉ、EXILEでぇす」

 

みたいな。

 

いや、悪くないよ?全然悪くないです。

でも、色んな音楽を知った上で、その答えを出しているのですか?と問いたい。

それしか知らない、それしか流れてこない、ってんでは、ちと貧しくないですかね。

 

日本の音楽チャートが終わってるとして、さらに突っ込んで言えば、

 

 

大御所のアーティストと言われる人たち、何やってんの?

 

 

あんたらプロだろ。プロとアマチュアの垣根が以前よりなくなってきたとはいえ、アマチュアのポッと出のヤツらとか、適当な流行りとか、ヘタクソなアイドルの歌にチャートを乗っ取られてどーすんの。

 

しっかりせい、あほちゃうか。

 

いまは、良質な音楽を世に送り出す!…というよりかは、売り出し方とかコンテンツ勝負になってきてると思う。

 

 CDに投票権だとか握手券だとか、コンサート チケットの整理券だとか、よくわからんけど、そういう付加価値をつけてCDの売り上げ枚数を伸ばしてんだな。

 

だいたい、21世紀の先端を走るはずのメディアが、未だに“

 

CDの売り上げ枚数だけでチャートを作ってること自体バカバカしい。

 

音楽コンテンツのダウンロード数をカウントせなあかんやで。

 

徐々にそうなってきている、というか、ダウンロードだけのチャートもあるみたいだけど、総合でどうなのか、っていうチャートは、いまだにないすね。あるの?

 

これ、新聞業界にも当てはまると思うんだけど、新聞業界のトップは、未だに“新聞は売れる”と思ってるみたいすね。

 

これは恐ろしいことで、 スマホタブレットだ、とデバイスがどんどん便利に進化して、ボタン一つで最新のニュースが手に入る時代に、各業界のメディアを代表するトップが時代についていけてない。

 

未だに「押し紙」と言って、注文数以上の新聞を発刊して、見せかけの売上数を出しているらしいすよ。アホくさ。

 

音楽業界も同じで、日本では未だに、いかにCDを売るか、しか考えていない。

日本の某家電メーカーみたいに、そのうちぶっ潰れますよ。

 

次号、いよいよ完結!マンダム編!

音楽の聴き方〜Kikikata of the ONGAKU〜その2

前回は、21世紀を生きる文明人としての我々が、音楽とどう関わっているか、の触りの部分をお話した。

 

ぶっちゃけ、今の時代、どうすか、周りで「音楽好きっす!」って、何のためらいもなく言う人、そんないる?

 

“好き”って言うと抽象的だけど、例えば、「必ずあのアーティストのCDは買う」とか、「ちょっと興味があったんでCD買ってみた」とか、「好きなアーティストのコンサートやライブには結構に行ってます」とか。ねぇ、いる?

そういう人、身近にどれくらいいるだろうか?

 

え?いる?あっそ。

 

まぁ、いいや。

 

なんか“音楽が好き”っていうことが、昔に比べて“特別なこと”になってきているような気がするんだな。

言ってしまえば、鉄道模型とか釣りとかみたいに“一部の人の趣味”みたいな感じっていうの?

 

「え〜そんなことないよ〜」

 

と思った方、じゃあ、初めて会った人に

 

 

ゲスの極み乙女が大好きで、CDは持ってるし、ライブは絶対観に行ってます!」

 

って、言われたら、どう思う?

 

“あー、そういう趣味の人なんだ”

 

って思っちゃわない?

 

え?思わない?

 

あっそ、まぁいいや。例えが悪いか。

 

んじゃ、

 

「○○○が大好きで、CDは全部持ってるし、ライブは絶対観に行ってます!」

 

の、○○○の部分に、適当に思いついたアーテストの名前入れてみてよ。

意外と、どんなアーテストの名前を入れても

 

“あー、そういう趣味の人なんだ”

 

って思っちゃわない?

 

関係ないけど、熱狂的に好きだと、日本ではなぜか“信者”と呼ばれてしまうんだよね。

まぁ、バンドによってファンがキモいヤツらもいるんだけど。

 

とにかく、昔は、もっと当たり前に音楽が身近にあって、CDやレコードやビデオなんかを買ってみんな楽しんでたような気がするんだよな。

 

んで、“音楽との関わり方”なんだけど、ハッキリ言って今の時代

 

“音楽はタダで聴くもの”

 

ですからね。

 

インターネットの発展に伴って、YOUTUBEとかニコニコ動画とかの媒体が一般家庭に普及している昨今。今やスマートフォンの普及で個人のポケットの中にまで“無料ミュージック”が普及してしまってるし、spotifiとかの音楽アプリや、radikoなんかのインターネットラジオの台頭で、今やボタン一つで音楽なんか無数に溢れ出てくるんだな。

 

アテクシがちょうど大学生時代にですね、YOUTUBEを知りましたんです。まぁ、初めて観た時はビツクリしましたですね。

 

え!?これ全部タダで見れんの!?

 

って。

 

汗水垂らして、金塊を掘り当てるがごとく探し回っていた海外ロックミュージシャンのライブ映像がですよ、ザクザク出てくるんすよ!

今まで、深夜のBSなんかで、ごくたまぁ〜に放送してたライブ映像を、眠い目をこすりVHSの前に正座して、定刻に“録画ボタン”を押して、やっとゲットできていた物を、キーボードをパチパチっとやれば数秒で観れるんすよ!?

 

そんな社会になったもんだから、今の人たちって、音楽を判断するタイミングが早いじゃないかな、と思う。

 

“あ、コレ、自分に合わないな”

“こういうジャンルが聴きたいんじゃないだよなぁ”

 

そう思いながら、次々と別な動画に飛びまくる。

 

アテクシが若い頃なんか、インタラネットも、もちろんスマホなんかもなかったから、アーテストに関する事前情報なんかも乏しいし、Amazonなんかないから、買いたいCDも売ってないしで、一回一回のCDの購入が“真剣勝負”だったんすよ。ハングリーだんたんす。自分。あ、いやアテクシ。

 

今や、事前にWEBでアーテストに関する情報を調べテーノ、YOUTUBEで視聴しテーノ、良かったらAmazonで買ウーノ、みたいな黄金のルートができているんでないかな。

 

アテクシなんか、買ったCDが少々“ハズレ”でも、せっかく大切なお小遣いを貯めて買ったものだから、しばらく我慢して聴いたもんだよ。

 

何回も聴いてるうちに、「あれ?コレ意外とカッコよくね?」って思ったりしてな。

 

歌や音楽を深く味わう、ということが今よりできていたかもしれんなぁ…と、数々の山を制覇してきた登山家のように遠い目をして思う訳ですよ。

 

だから、YOUTUBEなんかダメダメ!あんなの子どもに見せちゃ!今すぐWi-Fiとかモデムの電源をブチ抜いてください。

 

あー、今回もなんか熱く 書き走っていたら、予想以上に長くなってしまった。

何、マンダムって。

 

たぶん、その3、その4に続く。